二条城の歴史について2

信長は義昭が挙兵したことに対して、上京の町家を焼き払い二条城を包囲しました、その後、和議は成立したのですが、信長軍に包囲されるとそのまま降伏しました。

この際に御殿などは兵士によって破壊されたと言われています。

信長は京から一旦離れるが再度戻ってきた際に、二条城の庭園を気に入りました、信長は上京した際の宿所とするために、二条城を譲り受けて改修を行ないました、しかしその後は信長自身だけではなく皇太子を住まわせることになりました。

本能寺の変が起きた際には二条城も襲撃にあっており、二条城の御所や隣接する妙覚寺も焼かれました。

天下人となった豊臣秀吉も二条に城を構えましたが、本拠地は大阪に作ると定めました。

そのため二条城は京都での拠点としての意味合いになりました。

江戸時代には徳川家康がこの二条城を譲り受けており、大規模な改修を行ないました。

数年ののちに改修を終えたのですが、徳川秀忠は天皇家に嫁いだ娘を二条城に住まわせることになりました。

秀忠が治めていた時代の間は京都の御所として出入りがとてもあったのですが、家光が二条城に入城したことを最後に将軍が入るという事はなくなりました。

その後幕末の動乱期までは、二条城は人々に忘れられるようになってしまったのです。

幕末の時代にまた二条城に目が向けられるようになり、再度改修が行われることになりました。

そして徳川家最後の将軍である慶喜が二条城に宿所を移し、大政奉還が行われました。