二条城の歴史について1

二条城の歴史としては、とても長いものがあります。

現在は城全体が国の史跡として指定されていますし、二の丸御殿は国宝に認定されています。

このように二条城はとても歴史的な意味合いがあるのですが、歴史書においては二条城と呼ばれている建物は複数あります。

まずは二条大路という道が整備されていたのですが、この路は都の中でも唯一の大路でありました。

その大路に足利尊氏が二条にまずは屋敷を構え、それから義満まで3代の将軍が周辺地域に屋敷を構えていました。

そのため将軍家の屋敷のことを二条陣や二条城と言っていました。

室町時代にはほとんど城は作られていないため、唯一の城でもあります。

現在の二条城は4番目に作られた城であります。

それ以前に作られた二条城は現在残っていませんが、発掘の結果や残存する地名などを根拠にして別の場所にあったと考えられています。

足利義昭は織田信長が武力の後ろ盾になったことによって将軍に就任しました。

その後六条に居所を設けていたのですが、その後直ぐに襲撃を受けました。

その際に防戦はできたのですが、信長や家臣らは防備が整った城が必要だと考えました。

そのため城を作ったほうがいいという旨を伝え、義昭が築城することを決めました。

場所としては、義輝の二条城があった地をさらに拡大して、天主を備える城郭づくりの邸宅としました。

この城の建立には信長自身が現地に入って陣頭指揮をとっていたと言われています。

この城が出来上がってから義昭はすぐに本拠を移したのですが、後に二人の中は悪化してしまい二条城内で信長に対し挙兵をしました。